シャネルの精神
オリジナリティがあるなどと言う表現に惑わされてはいけない。
服装の中でのオリジナリティなるものは、ともすれば、仮装や、ゴタゴタな飾りで終わりがちなのです(モラン、前掲邦訳、p.75-6)このように言う彼女は、黒やベージュの無地の生地をよく使っていた。
また、奇抜で華やかな装飾や色彩以外で彼女が避けたのは、性の強調でした。
すでにポワレは19世紀的な女性の肉体の強調をやめて、腰も胸もただ自然につつみ、いちじるしいデコルテ(低く大きな衿開き)も行っていません。
しかし、シャネルはそれをもっと徹底させました。
彼女は従来の女性に特有の色彩や装飾・素材、シルエットを捨てただけでなく、積極的に男性の服のそれらの要素と精神を女性の服に取り入れました。
すでにテイラードスーツはそう珍しくはなくなっていたが、彼女の取り入れ方は非常に大胆だった。
いくつもの彼女の伝記は、それが彼女の男友達の服装からヒントを得たものであると述べています。
海軍の制服からの濃紺や白の色彩、金ボタン、ゆるやかなパンタロン、さらに、狩猟用のツイード地。
シャネラー
日本には世界中の大衆が決してそこまでは手を伸ばさない異常な言葉がいっぱいあります。
そのひとつが"シャネラー"です。
いったい誰がこんな言葉を言い出したのか。
ここで"シャネラー"の登場なんぞを詳しく分析してみる気はないが(それをやれば、なぜ日本人の購買力によってエルメス、グッチ、ヴィトンが販売力の半分以上を確保できているかという事情を解剖できるだろうが)、日本のお姉さん、おばさんたちがシャネラーになったのは1983年にカール・ラガーフェルドがシャネルの主任デザイナーになってからのこと、それ以前はそんなことはおこりっこなかったはずです。
だいたいいまシャネラーがもてはやしているシャネル・スーツは本来のシャネル・スーツではなくて、1985年の春夏コレクション以降のスタイルなのです。
それにシャネルがプレタポルテ部門を始めたのがやっと1977年なのです。
ココ・シャネルが晩年を逼塞するかのごとく送ったパリのホテル・リッツで亡くなったのが1971年だから、6年後のことだ。
それまではシャネルといえばオートクチュールのメゾンのことでした。
またシャネル・スーツといえばシャネルレングスという、ちょうど膝が隠れる程度の丈と決まっていた「サムディ・ソワール」の創刊者であって、「マリー・クレール」の元編集長です。
だからというのではないが、本書はふつうの評伝よりずっとオシャレに、そこにココがお気にいりの椅子に坐って、こちらを向いて早口に喋っているかのように、とてもスタイリッシュにできています。
ふんだんにココの言葉が引用されているのも、類書には見られない特徴になっている。
周知のようにココの言葉は勝手なもので、直観に富み、しばしば逆説的です。
たとえば、こんなふうに。
いささか順番をぼくがいじってあります。