シャネル成功の秘密
シャネル成功の秘密は、男性の下着や野外用であったジャージーやツイードなどの機能的な素材を女性の服に取り入れる革新的な試みや、スポーティな服にふんだんにゴールドやストーンのアクセサリーを取り入れることによって、着る人の個性を引き出し、より独創的な着こなしを楽しめることを示したことでした。
発想の新鮮さは、新しいもの好きの社交界の女性のみならず、車などのモータリゼーション(移動手段)が発達し始めた時代を背景に、戸外で活動する機会が増えた女性たちの欲求をぴったりとらえていたのです。
黄金時代の後、第二次世界大戦によりブティック閉店を余儀なくされるが、1954年には再び同じ場所(カンボン通り)にブティックをオープン。
コレクションも再開した。
翌年の1955年には「20世紀の最も偉大なクリエーター」としてモード・オスカー賞を授与されている。
また1959年にはニューヨーク近代美術館に「シャネルNo.5」の香水瓶が展示された。
その後かつての黄金期を超える作品は発表されなかったものの、当時社会進出を始めた女性たちや女優などのセレブリティたちは、シャネルの合理的でエレガントな服を愛し、デザイナー、シャネル自身も伝説的な存在となっていました。
1971年1月10日、パリのオテルリッツにてシャネル死去。享年87歳。
その後、1983年にカール・ラガーフェルドがデザイナーに就任、パリ・アヴェニューモンテーニュ42番地にシャネルの2番目となるブティックをオープン。
以後現在に至るまで、オートクチュールとプレタポルテ、化粧品、男性用オードトワレ、ジュエリー、ウォッチに至るまで幅広いアイテムで大きな成功を収めているのは周知のとおりです。
働く女性のシャネル
1915年、第一次世界大戦のまっただ中に、ガブリエル・シャネルはパリのカンボン通りにメゾンを開きます。
彼女もまた、ポワレ同様コルセットのいらない衣服を提案するが、彼女のつくる服はポワレの服とは少し違った。
ポワレが作ったのは、一日中何もしないで遊んで暮らし、社会的な役割と言えば、男性の存在を引き立てるだけというそれまでの女性のための服でした。
対してシャネルは、とにかく動きやすさとシンプルさにこだわった、働く女性のための服を作りました。
そんな彼女の作ったスタイルとは、ニットでできたスーツ、ヨット用パンツ、ビーチパジャマなどの無駄な装飾を取り払った、極めて実用的なものであった。
一生働く女性であった彼女のドレスには、一貫して自らの人生への姿勢が反映されているように思います。
「シンプルで着心地が良く、むだのないこと。
ことさら、意図したわけでもなく、あたしはこの3つのことを自然に、新しい服装に取り入れていました(ポール・モラン著、秦早穂子訳「獅子座の女シャネル」文化出版局、1976、p61)彼女がドレスを作る際に、一番気をつかったのは動きやすさです。
楽に、何の心配もなく身体を動かしても、みっともなく、だらしなく見えない服づくりにこだわったのです。
シャネルのポリシー
彼女は独自のデザインポリシーを持ち、彼女なりに自分の生きかたやこだわりを服に表現したと言える。
しかし、そんな彼女の作った服の人気も、戦争の影響や新しいデザインの出現により徐々に下火になっていきました。
その後、流行したのが1947年にクリスチャン・ディオールにより発表された「ニュールック」です。
実は、このスタイルはシャネルが提案した女性を解放するスタイルとはまったく逆のものでした。
このスタイルは、長いスカートに細くしまったウエスト、それと大きくひろがったスカートの裾が特徴の極めて「女性的」なスタイルである。
このスタイルの前に、制服のような直線的なスカートは後退することになります。
また、ニュールックは胸元がV字型に開いており、首を根元からかなり大きく出していました。
肩はこれまでの角ばった肩ではなく、パットを取り去った、なだらかな自然のラインを描いていた。
長い袖もしなやかで、かなり幅広である。
夜の服(パーティ用など)はウエストの細さをさらに強調していた。
このためゲピエール(スズメバチの腰)と呼ばれる新しい形態のコルセットが復活し、ウエストのたるみを引き締め、ウエストラインを細く整えるようになる。
また夜のドレスは基本的に肩紐がなく、肩から背中、乳房の上部を完全に露出していました。
スカートの丈と女性
1920年から1950年まではショート丈とロング丈が交互に現れた時期もあった。
1920年のスカート丈は、まだくるぶし丈でした。
しかし、25年にはひざまで持ち上がり、30年に再び下がってくるぶし丈になるが、39年に膝丈になり、47年までこの長さが続いていた。
そして、ここで突然スカートが再び長くなったわけなのであるが、その後、スカート丈は時を経るにつれて次第に短くなっていきます。
こうしたスカートの長短は各時代の女性の意識を反映したものだったと言える。
20年代の短いスカートは女性の解放、特に性の解放を反映していた。
そして、30年代の長いスカートはこの流れの逆行を反映していました。
恐慌がもたらした困難な時代には自由であることが不自由になるという女性の危機感がそこに表れていました。
しかし、戦時中にスカートが短くなったのは現実的な諸事情によるものであった。
短いスカートは確かに労働には適してはいたが、生地不足から、そうせざるを得なかったのです。
だから、女性解放という意味では短いスカートよりもズボンにそれが表れていた。
一方、ニュールックの長いスカートは何を表すものだったのかといえば、これはエドワーディアンに共通する時代への反発を表していた。
苦しい戦いの後、つまり女性が男の仕事に駆りだされて軍隊と工場で働いた時代が終わり、統制と窮乏と苦渋に耐えた数年間が幕を閉じたとき、彼女たちは幸福だった過去の時代に戻って、そこにあった女らしい衣服を身にまとうことを夢見たのです。
シャネルの魅力
確かにシャネルのデザインが流行した時期とコルセットをつける人が減った時期は同じであるし、シャネルのデザインに対するポリシーや生きかたは当時の女性たちに大きな影響を与えたと考えられます。
なぜならシャネル自身の人生はスキャンダラスで、奔放で魅力的なものであったし、それに「自由」や「解放」を見る女性も多かったからです。
事実、彼女の顧客である女性たちは、彼女の自由で自立した生き方に強い憧れを抱き連日のように彼女のメゾンに訪れていたといいます。
彼女のつくるスタイルも十分影響力があったが、彼女自身のキャラクターも影響力があったのである。
そして、その当時の女性は男性優位の社会から解放されたかったのだということもわかります。
しかし、女性はファッションに「解放」だけを求めているとは考えられません。
1900年代初めのころは、女性は男性に縛られる窮屈な社会からの解放を望み、第2次世界大戦後の1940年代には辛くて厳しい世相からの解放も求めました。
こう考えてみると、女性たちはファッションを一種の逃げ場として捉えているようにも考えられるが、それ以外にももっとそこには女性を美しく装いたいと思わせる何かがあるはずです。
シャネルスタイルの原型
20年代前後のシャネルは、私生活や恋愛も多彩をきわめ、イゴール・ストラヴィンスキー、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、セルゲイ・ディアギレフ、ピエール・ルヴェルディなどの芸術家たちと親しい関係を結び、とかく伝説的な話題が多い。
この頃、黒とベージュを基調にして、シックで、実用性と機能性を備えたシンプルなチューブ・ラインのドレスを次々と発表。
例えば、ジャージーのテーラード・スーツ、カーディガン・スーツ、シュミーズ・ドレスなど。
なお、第1次世界大戦期に、真っ先にミリタリー・ルックを取り入れたのは、他ならぬシャネルである。
これらの作品を通じて、シャネルは、第1次大戦後の新しい女性像を明確にとらえた、シンプルで機能的なスタイルをアピール。
マスキュリン感覚をもって、20年代のモード界をリードした。
当時のシャネルの作風は、かなり論理的なもので、それまで単に飾りに過ぎなかったボタンやポケットに、現実的な役割を与えた。
また、シンプルで短いチューブ・ドレスの飾りとして作られた模造宝石の装身具「ビジュ・ファンテジ」は有名。
他にも、ふくらはぎ丈のパンタロン、「シャネル・ルック」とよはれるカーディガン・スーツ、ベルベティーンのジャケット、くるぶし丈のイブニング・ドレス、金属ボタンや大型フレームのサングラス、つま先で切り替えたベージュ×黒の底寸パンプス(シャネル・パンプス)、鎖と革のストラップで知られるキルティング・バッグ(シャネル・バッグ)など、100種類を超えるシャネル・スタイルは、今でも受け継がれている。
今日、シャネルの典型とされるスタイルの原型が、既にこの時期に形成されていたのである。
シャネルの躍進
1934年、アクセサリー部門の工場、翌35年には、パリの北方ピカルディー地方に自社製品用の服地工場を建設。
この頃、シャネルのメゾンは、従業員4000人を数えたという。
その間、ロシア・バレエの舞台衣装をはじめ、アヴァンギャルドな舞台衣装、ハリウッド映画の衣装などを手がけた。
このように、シャネルの躍進は、30年代の留まるところを知らなかったが、第2次世界大戦が勃発し、39年に、香水とアクセサリー部門を除き、メゾンを閉鎖。
コモ湖畔で引退生活を送った。
しかし、54年2月に、70歳でカムバック。
当時、流行の最先端を進んでいたクリスチャン・ディオールの、復古的で、着せ替え人形タイプの「ニュールック」に対し、55年、シャネルは、機能的なツイード・スーツをぶつけた。このスーツは、上着とスカートのツー・ピース。
スカートは膝丈で、デスクワークのどんな立ち居振る舞いにも適した。
丸い襟元のシンプルな上着の下に白のブラウスがさりげなく豪華さを演出していた。
肩からヒップまで直線的に下りるラインを際だたせた、このツイード・スーツ(通称「シャネル・スーツ」)は、当初フランスでは不評だったが、女性のエグゼクティブの台頭がめざましかったアメリカで人気が爆発。
アメリカに遅れること10年、女性の高学歴化が60年代に進んだフランスでは、70年代に入って、ようやくシャネル・スーツが有名になる。
以後、ディオールのニュールックにもまして、このシャネル・スーツは世界的な大流行となった。