シャネル、パリへ
ガブリエル・コレットは1873年の生まれで、シャネルはそれより10歳の年下だ。
そのコレットの『学校のクロディーヌ』『パリのクロディーヌ』で、たくさん の"クロディーヌたち"がパリに溢れたとおもわれたい。
『アンアン』『ノンノ』を読んで東京に出てくる少女たちが溢れたという状況である。
そこへ1909年にシャネルがパリにやってきます。彼女の両親は行商人だったのです。
ようするにコレットとシャネルが夢見る田舎娘だったこと、これがシャネル物語の最初の出発点になります。
シャネルはオバジーヌの教会の救済院で生まれ、修道院の孤児院で育ち、18歳でムーランのノートルダム修道院の寄宿生になるまでは、どんな夢も想像力の中だけで育てていた貧しい少女にすぎなかったのです。
のちのシャネルも少女時代や両親のことは語りたがらない。
そして20歳、シャネルは友達と下着衣料店に奉公に出て、そこで縫い仕事をおぼえた。
1905年、ラ・ロトンドの舞台に立って「コ・コ・リ・コ」というシャンソンを唄い、ココと徒名されました。
やっとシャネルのベル・エポックが始まったのです。
次に、ポール・ポワレのモード革命があったということがシャネル物語の前提になる。
それまでのファッションはイギリスから来たガストン・ウォルトの世界である。
ついでマダム・パカン、キャロ姉妹、シェリュイ、ランヴァンが続いたが、ポワレがすべてを一新しました。
その象徴がドニーズだ。
ドニーズはポワレと連れ添った美しい妻であるが、その痩身のシルエットこそはのちの1920年代のモデルになっていきます。